久茂地(くもじ)は、沖縄県那覇市の地名。現行行政地名は久茂地一丁目から久茂地三丁目。郵便番号は900-0015。
地理
那覇市中心部に位置する。西側に松山、北側に前島、東側に牧志、東南側に松尾、泉崎、南西側に久米、東町と接し、沖縄県庁舎や那覇市役所にも近く、金融機関や放送局などが立地するオフィス街で、沖縄県の経済の中心地である。
古い文献では次の記載がある。
美栄(みー)橋から泉崎(いずんざち)橋にかけての久茂地(くもじ)川両岸に沿う。南は泉崎(いずんざち)村、東は古波蔵(くふあんぐわ)村・牧志(まちし)村、北は泊(とうまい)村。普門(ふもん)寺という寺があったことから、もとは普門寺村と称し、普文寺村とも記された(『琉球国由来記』)。もとは久米村の東側に位置する那覇役人の管轄する地域で、わずかに久米村に属する内金(うちがにく)宮周辺に数軒の家がある荒野であったという。康熙六年(一六六七)久米村の紫金大夫金正春城間親方が王命により宅地として整備、その際に普門寺の名をとって村名にし、この時から久米村の所属となったという(『球陽』尚質王二〇年条)。『中山伝信録』には普門寺があったところから普門地というとある。久米村の丘陵に近い地域を上の平(いーのふいら)といい、普門寺村はこの地域にあたるという(『南島風土記』)。その後那覇と同様宅地不足となり、尚敬王二一年(一七三三)には周辺の汀地が宅地として開発された(『球陽』)。轆轤の技術を琉球に伝えたとされ、安里掟となった大隅出身の鮫島六郎兵衛は当村に定住した(『久米村日記』沖縄教育史要)。以後当地には職人や技術職人が多数居住した(『南島風土記』)。 雍正一三年(一七三五)普門寺村から久茂地村へと名称が変更された(『球陽』尚質王二〇年条)。久茂地の名は久米村人が縁起のよい文字を選んだものという(南島風土記)。同年二月二六日の久茂地村屋敷図(県立図書館蔵)が作製された時期はまだ普門寺村で、その二、三ヵ月後に久茂地村への改名の申請が行われた(『球陽』)
交通
モノレール
- 沖縄都市モノレール線
- 県庁前駅
バス
以下のバス停が存在する。
- 県庁北口バス停
- パレットくもじ前バス停(市内線用・片側のみ設置)
- 沖銀本店前バス停(市内線用・片側のみ設置)
- 琉銀本店前バス停(市内線用・片側のみ設置)
- 沖縄タイムス前バス停
- 若松入口バス停
- 松尾バス停(市内線用)
- 久茂地公民館前バス停
- 美栄橋駅前バス停
上記バス停のいずれかに停車する全ての路線を掲載する。
道路
- 国道58号
- 久茂地交差点
- 沖縄県道39号線
- 沖縄県道42号線
- 沖縄県道221号那覇内環状線・沖縄県道222号真地久茂地線
施設
久茂地一丁目
- 琉球銀行本店
- パレットくもじ - 県庁前交差点の西側に立地する9階建ての複合商業施設
- リウボウ
- パレット市民劇場
- シネマパレット
- 美栄橋郵便局(ゆうちょ銀行那覇支店)
- 那覇市歴史博物館
- 那覇市民ギャラリー
- 沖縄テレビ放送
- コンフォートホテル那覇県庁前
- ホテルサン沖縄
- 大同火災海上保険本店
- 鹿児島銀行沖縄支店
- 沖縄県事業承継・引継ぎ支援センター
- 沖縄ビジネス外語学院
- 産経新聞那覇支局
- 日本経済新聞那覇支局
- 沖縄県ソフトウェア事業協同組合
- 琉球料理美榮
久茂地二丁目
- 那覇久茂地郵便局
- 沖縄海邦銀行本店
- 沖縄タイムス本社
- タイムスホール
- 朝日新聞社那覇総局
- 琉球放送・琉球朝日放送本社
- 商工組合中央金庫那覇支店
- 三菱UFJモルガン・スタンレー証券那覇支店
- 第一生命保険那覇支社
- ホテルサンパレス球陽館
久茂地三丁目
- みずほ銀行那覇支店
- 沖縄銀行本店
- 沖縄海邦銀行松尾支店
- 那覇文化芸術劇場なはーと
- わしたショップ本店
- 國場組本社
- 台北駐日経済文化代表処那覇分処
- 美栄橋公園
- 日本分蜜糖工業会
脚注
外部リンク
- 那覇市




