雑種賎民(ざっしゅせんみん)は、日本の歴史上における賎民のうち、穢多と非人を除き、かつて卑賎視された身分の多種雑多な者(被差別民)をいう。

『河原巻物』には30数種の職種が長吏の支配下であるとされ、元禄3年(1690年)の『人倫訓蒙図彙』に44種、享保年間(1716年~1735年)の弾左衛門が幕府に提出した由緒書には配下として28種、文政年間(1818年~1829年)の『嬉遊笑覧』に29種、本居内遠の『賎者考』に50種の賎民が言及されている。

実態

彼らの多くは集落を作らず、定住性が低く、時には家族さえ為していなかった。全国を支配する国家体制がなかった中世には支配の間隙にあり、把握や統制は問題にならなかった。

天下統一のはじまる安土桃山時代には一部が権力に把握され、「かわた」身分として近世的統制を受けるなどした。

江戸時代には幕藩体制の確立に伴い全地域・全人民の人別把握が不可欠となったため、雑種賎民への統制が開始・強化された。

地域別の雑種賎民

  • 畿内の
  • 伊勢のささら
  • 但馬から中国地方にかけての茶筅
  • 備中・備前の京都四条坊門の極楽院空也堂隷属下のおんぼう
  • 福山藩の茶筅木の花三吉河原者
  • 周防の宮番茶筅茶屋
  • 山陰の鉢屋
  • 鹿児島藩の四苦(後に「えた」に改称)・慶賀行脚
  • 加賀藩の藤内物吉
  • 常陸のえびすはふりこもりこおほゆみおこも(高野聖)

雑種賎民の役務

雑種賎民の中には幕藩勢力から役務を申し付けられたものもある。

  • 猿飼は弾左衛門の支配下にあり、江戸城西丸下の厩や武家屋敷での馬の祈念などをした。そのほかに大道で猿の芸を見せることもあり、地方巡業にも出かけた。
  • 乞胸(ごうむね)は家業について非人頭車善七の支配を受けており、江戸の浅草溜の火災の際、御用書物を持ち出した。『寛政度文政度御尋乞胸身分書』によると、乞胸の始まりは大道芸で糊口をしのいでいた浪人で、次第に人数が増えたところ、非人頭車善七から職域侵犯であると抗議され、両者協議の末、乞胸は町人の身分のまま、稼業に関してのみ善七の支配下になることで決着した。乞胸は空き地や大道で芸をし、門付は非人のみが許された。
  • 加賀藩の藤内は葬送・隠密御用・牢番・行刑などを務めた。
  • 伊勢国十二郡に広く分布したささらは園城寺(近江三井寺)支配下で、城掃除、死刑・拷問、下級行刑役、町の見回り、寺社の開帳。法食の立ち食い、芝居、行倒人の始末、火消しなどの役務を負った。
  • 鳥取藩の鉢屋は生業として竹細工を営んでいたが(それにより茶筅とも呼ばれた)、犯人の逮捕・牢番の役務があった。
  • 鹿児島藩の慶賀はその名の通り、藩の慶祝行事に関係していた他、牢番の役務があった。

脚注

参考文献

  • 小林 茂 、三浦 圭一、脇田 修、芳賀 登、森 杉夫 編『部落史用語辞典』柏書房、1990年。ISBN 978-4760105670。 
  • 臼井 寿光 編『兵庫の部落史〈第1巻〉近世部落の成立と展開 (のじぎく文庫)』神戸新聞総合出版センター、1991年。ISBN 4-87521-697-1。 

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