伝蘇我倉山田石川麻呂の墓(でんそがのくらやまだいしかわまろのはか)とは、岐阜県各務原市蘇原宮塚町にある史跡で蘇我倉山田石川麻呂の墓と伝承されている。1972年(昭和47年)に市の史跡に指定された。

蘇我倉山田石川麻呂は、蘇我馬子の孫で、大化の改新(645年)後に右大臣を務めた人物である。各務原市蘇原地区には、当時の都である奈良地方と共通する地名や寺名とともに、この宮塚の丘を蘇我倉山田石川麻呂の墓とする伝承が存在している。

なお、大阪府太子町の仏陀寺古墳(府指定史跡)も蘇我倉山田石川麻呂の墓と伝えられている。

所在地

  • 岐阜県各務原市蘇原宮塚町2丁目13

脚注

関連項目

  • 山田寺(山田寺塔心礎を参照)


かるたでめぐる太子町「つ:椿の下に眠る 石川麻呂(いしかわまろ)」 太子タウン

蘇我石川麻呂の栄光と悲劇を伝える奈良県桜井市「山田寺跡」|eltha(エルザ)

歴史散策・伝蘇我倉山田石川麻呂の墓 YouTube

2020年2月27日 山田寺跡 蘇我馬子の孫、蘇我倉山田石川麻呂が641年に造営を開始した寺の跡。塔と金堂が南北一直線に並ぶ伽藍配置であり

各務原(かがみがはら)飛鳥田