交野 政邁(かたの まさゆき、1893年(明治26年)7月3日 - 1966年(昭和41年)6月14日)は、大正から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・内藤。青年期には陸上競技やスケートでスポーツ界に足跡を残し、のちにスケート団体の会長を務めている。
経歴
旧日向延岡藩主・内藤政挙の息子として生まれる。堂上(公家)華族の交野家の養子に迎えられ、先代・交野時正の隠居に伴い家督を継承し、1918年(大正7年)3月11日、子爵を襲爵した。
1921年(大正10年)3月、京都帝国大学経済学部を卒業。松坂屋取締役、朝日興業取締役、名陶チャイナ・コーポレーション社長、大同メタル工業監査役などを務めた。
1946年(昭和21年)5月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
1966年(昭和41年)6月14日、肺癌のため山王病院で死去。
スポーツ人として
学習院高等科在学中には、1913年(大正2年)に始まったばかりの日本陸上競技選手権大会を走高跳で2連覇する成績(当時の日本記録でもあった)を残している。
京都帝国大学在学中にはスケート界で活躍し、1920年には河久保子朗らとともに日本初のフィギュアスケート研究団体である「日本スケート会」を結成した。1929年(昭和4年)に大日本スケート競技連盟(現在の日本スケート連盟)が発足すると、会長を務めた。
親族
- 妻:錥(いく、伊藤次郎左衛門 (15代)長女)
- 長男:政博
- 三男:光彦(伊藤銃次郎養子)
脚注
注釈
出典
参考文献
- 日本スポーツ協会編『日本スポーツ人名辞典 昭和8年版』日本スポーツ協会、1933年。
- 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 末田智樹「大正後期株式会社いとう呉服店の経営拡大と催事展開―大阪店再開と銀座店開設と松坂屋誕生―」『人文学部研究論集』第31号、中部大学人文学部、2014年。 NAID 120006520248。



