沼波 弄山(ぬなみ ろうざん、享保3年(1718年) - 安永6年(1777年))は、萬古焼の始祖として知られる陶芸家。本名は、沼波五左衛門重長。

桑名・船馬町の豪商に生まれる。幼少から覚々斎原叟や如心斎天然に茶道を学んだ。庵号は寸方庵。しばらくは桑名の本宅で楽焼風の作陶を続けていたが、元文年間(1736 - 40)に小向村(現・朝日町小向)の別邸に窯を築き、宝暦年間(1751 - 64)には江戸の別邸(向島)にも窯を築いた。弄山自身が作陶に携わっていたというよりは、むしろ窯の経営に携わっていたとされる。安永6年(1777年)60歳で死去、法名は西誉方岸道一居士。墓所は桑名市新町の光徳寺にある(沼波弄山墓 附 沼波家墓所、三重県指定史跡)。

作風は、和蘭や交趾風の舶来趣味を巧みに加えた温雅なもので、数寄者の好評を博した。彼の作品は後世、江戸萬古または古萬古と称される。弄山の後継者はいないようだが、後代になって、射和萬古、有節萬古、安東焼などが生じた。射和萬古を興した竹川竹斎は、弄山の妻の家系である。

彼は作品に「萬古」あるいは「萬古不易」と印したことより、萬古焼と呼ばれるようになった。

脚注

外部リンク

  • 郷土史研究の歴史(3) -沼波弄山について- - archive.today(2012年5月19日アーカイブ分)(インターネット保存事業によるアーカイブのArchive.todayによる魚拓)

ケイベイ 古美術品専門サイト

四日市萬古焼陶祖 沼波弄山翁を学ぶ ばんこグランマの館長ブログ〜ばんこの里会館

三吉稲荷神社 (三重県桑名市) on Twitter

【沼山村风光摄影图片】风光摄影_红山传人视觉_太平洋电脑网摄影部落

BANKO300 萬古焼陶祖沼波弄山生誕300年から開窯300年へ