松平 忠継(まつだいら ただつぐ)は、江戸時代前期の信濃国飯山藩の世嗣。官位は従五位下・筑後守。
略歴
承応元年(1652年)、松平忠倶の長男として誕生。
寛文元年(1661年)8月26日、10歳の時に飯山藩嫡子として4代将軍・徳川家綱に御目見した。寛文5年(1665年)に従五位下筑後守に叙任する。しかし元禄7年(1694年)12月28日、病を理由として廃嫡され、飯山で隠棲した。
代わって忠継の長男・忠敏が飯山藩の世嗣となったが、元禄8年(1895年)に早世。忠継の二男・忠喬が元禄9年(1896年)に飯山藩を継ぐこととなった。忠喬は宝永3年(1706年)に掛川藩、宝永8年(1711年)に尼崎藩に転封された。
正徳5年(1715年)7月21日、尼崎で死去。64歳。
系譜
特記事項のない限り、『寛政重修諸家譜』による。
- 父:松平忠倶
- 母:松平定行養女 - 阿部重次の娘
- 正室:本多康将娘
- 長男:松平忠敏
- 長女:永井直圓正室
- 二女
- 三女:菅沼定易正室
- 二男:松平忠喬
脚注
注釈
出典
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』巻第五
- 『寛政重修諸家譜 第一輯』(国民図書、1922年) NDLJP:1082717/24
- 『新訂寛政重修諸家譜 第一』(続群書類従刊行会、1964年)

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